親爺の毎日

20歳で金沢へ越してきて40数年になる金沢在住親爺の日々の生活

ムラゴンブログの機能をまだ理解していません。
失礼ご迷惑をおかけしてしまう事があるかも知れませんがご了承くださいませ。

他でも書いているのですが。

金沢の親爺

他でも書いているのですがコメントを貰いましてね。



気になったので調べてみました。←調べるって程でもありませんがw



芥川龍之介の蜘蛛の糸で犍陀多が蜘蛛の糸にぶら下がる悪人も助けたらどうなる?



こんなサイトを見つけました。





 が、チョッと納得できずにAIに聞いてみました。



解答(長いです)



〇〇さん、これは鋭い視点ですね。
「助かった悪人たちは極楽でまた悪いことをするのか?」
これは仏教の世界観を理解すると、答えがはっきりしてきます。


🌼 結論:極楽に行った時点で“悪事はできない”

理由はシンプルで、極楽とは
悪心(悪い心)が起きない世界
として設定されているからです。

極楽は「心が浄化された者だけが存在できる場所」で、
悪意・嫉妬・怒り・欲望といった“悪の種”そのものが消えてしまう。

つまり、
悪人が極楽に行った瞬間、悪人ではなくなる。


🌼 なぜ悪人でも極楽で悪事をしないのか

1. 極楽は“心の状態”が変わる世界

極楽は物理的な場所というより、
悟りに近い心の状態を象徴しています。

そこに到達した時点で、

  • 他人を傷つけたい
  • 欲を満たしたい
  • 自分だけ得をしたい
    といった心が自然に消える。

だから悪事をしようとしても、
そもそも悪事を思いつかない。


2. 仏の慈悲に触れると心が変わる

仏教では、
悪人こそ救われる(悪人正機)
という考えがあります。

悪人が極楽に行けるのは、
「善人だから」ではなく、
仏の慈悲に触れて心が変わるから

だから極楽に着いた瞬間、
悪人の心は“悪”を失う。


3. 極楽は“悪が存在できない構造”

極楽は、

  • 苦しみがない
  • 欲望がない
  • 争いがない
    という世界。

悪事は「欲望」や「怒り」から生まれるので、
それらが存在しない極楽では悪事そのものが成立しない。


🌼 もし犍陀多が悪人たちを助けていたら?

犍陀多が他者を助ける=慈悲
悪人たちも助かる=慈悲の連鎖

この時点で、
全員が“悪人の心”を捨てて極楽へ行く資格を得る
という構造になります。

つまり、
助かった悪人たちも極楽では悪事をしない。
そもそも悪事を思いつけない心になる。


🌼 まとめ

状態心の性質行動
地獄欲・怒り・嫉妬が強い悪事をする
極楽欲や怒りが消える悪事そのものが不可能

極楽は“悪人が悪人のまま行く場所”ではなく、
悪人が心を浄化されて生まれ変わる場所なんです。


〇〇さん、この視点は経営にも通じるところがありますね。
「環境が人を変える」という点で、極楽の構造はかなり示唆に富んでいます。



以上




と言う事は最初から悪人を極楽に入れば良いんじゃね?




と思ったのですが地獄で懲らしめるって事が肝心なのでしょうかね。




今日は引用ばかりですみませんw

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